【EP. 5】1963年5月17日、第2代WWWF世界ヘビー級王者ブルーノ・サンマルチノ誕生。

912

本シリーズでは、50年以上の歴史を誇るWWEが如何に現在のグローバル企業に成長していったのか、その歴史に迫る。
※第1話からご覧になられる方は下記リンクからどうぞ。
【EP. 1】キャピタル・レスリング・コーポレーション設立。

第5話

「ピッツバーグ郊外にルディ・ミラーという名前の男がいたんだ。」アーノルド・スコーランは生前、こう語った。「彼はプロレスラーになりたいと願う若者を連れてきた。ブルーノ・サンマルチノだよ。彼は500ポンド(約226キロ)を頭上へ持ち上げる唯一の男だった。レスラー志望のボディービルダーだったんだ。そしてビンス・マクマホン・シニアは彼をジムに連れて行き、色々見せて欲しいと言ってきてね。数週間後、ビンス・マクマホン・シニアは私に彼のマネージャーとして巡業に同行してくれと頼んできたよ。」

1963年5月17日まで話を進めると、ブルーノ・サンマルチノはマディソン・スクエア・ガーデンにて19,639人もの観衆の目の前でバディー・ロジャースを相手にWWWF世界ヘビー級王座戦に挑んだ。試合開始のゴングが鳴ってからわずか48秒、ブルーノ・サンマルチノのイタリアン・バックブリーカー(カナディアン・バックブリーカー)が炸裂し王座を手中に収めた。第2代WWWF世界ヘビー級王者誕生の瞬間である。

「素晴らしい夜だった。」サンマルチノはこう振り返る。「無数の人々が視線を変えた。試合は短いものだった。たったの48秒。しかし人々は試合時間を気にしてはいなかった。彼らは、私がバックブリーカーで葬った際、間違いなく熱狂したんだ。ザ・ガーデン(MSG)は完全に熱狂の渦に包まれた。あの瞬間分かったんだ。私は疑い深い人間だったからね。自分自身ではこう思っていたんだ。”もし私が勝利しても人々は私に付いてきてくれるだろうか?彼らは私を受け入れてくれるだろうか?私のことを十分に素晴らしいと思ってくれるだろうか?”」

彼らは成し遂げた。イタリア人であるサンマルチノは強靭な肉体、カリスマ性、才能を武器にテリトリー内の大規模なイタリア人ファン層を取り込んだ。サンマルチノはロジャースが期待されていたあらゆる点においての”王者”となったのだ。更にサンマルチノが先頭をひた走ることによりWWWFは圧倒的かつ広範囲に及ぶ人気を保ち、ロジャースの健康面の悪化によって生じた危機的状況をうまく切り抜けることに成功したのである。ワシントンD.C.、ボルチモア、フィラデルフィア、ボストン、その他北東部沿岸地域のファンはブルーノ・サンマルチノやWWWFの偉大なスーパースターを一目見ようと、地元会場を満員で埋め尽くした。

7年8ヶ月と1日。2代目王者として彼が王座を保持した期間である。彼は脅かす者全てをなぎ倒し、マディソン・スクエア・ガーデン(MSG)は60回以上も満員御礼。その人気は、内々で会うために彼をバチカンまで呼び出したパウロ6世(ローマ教皇)にまで広がりをみせた。しかし、それだけではない。疲れを知らぬエネルギーを持つ彼は、王座防衛戦を世界各地で実施。”団体の顔”として国々を渡り歩いたのだった。

余談だが、ブルーノ・サンマルチノにまつわるこんな話もある。時は1965年9月27日、場所はニューヨーク・シティで、当時保持していた王座ベルトが彼の車から盗まれてしまう。当時のWWWF社長Willie Gilzenbergは10,000ドル(当時、1ドル=360円の固定レート期)の報奨金をかけ、犯人に向けて、もしも王座ベルトを返還した際には訴えを起こさないと約束した。しかし、失われたものが戻ってくることはなかったのだった。

第6話は下記リンクからどうぞ。
【EP. 6】”生ける伝説”ブルーノ・サンマルチノの栄光、そして長期政権終幕へ。