【EP. 3】元祖”ネイチャー・ボーイ”バディ・ロジャース登場。

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本シリーズでは、50年以上の歴史を誇るWWEが如何に現在のグローバル企業に成長していったのか、その歴史に迫る。
※第1話からご覧になられる方は下記リンクからどうぞ
EP. 1 – キャピタル・レスリング・コーポレーション設立。

第3話

ビンス・マクマホン・シニアとジョセフ・モンドは数々の成功を収めたが、ひときわ目を光らせる業績は、元祖”ネイチャー・ボーイ”ことバディ・ロジャースの獲得。40もの王座を獲得していた彼の力があれば、全世界で興行チケットを完売できる影響力があると踏んでいた。そして、ひとたびバディ・ロジャースを誘致すれば、瞬く間に全ての興行チケットが完売となっていた。バディ・ロジャースとキャピタル・レスリングのコンビネーションは、アメリカ北西侵略への決定打となった。

(バディ・ロジャース)

キャピタル・レスリングは19616月、興行のプロモートのためにシカゴのフレッド・コーラートとパートナー提携を結び、これが後のプロレス史に残る決定的なターニングポイントとなる。バディ・ロジャース対NWA王者パット・オコナー戦である。バディ・ロジャースは、38千人を超える観客で埋め尽くされたコミスキー・パークにて名誉ある王座を捉え、パット・オコナーが保持していた2年半に終止符を打った。バディ・ロジャースの勝利は全米に興奮の波を走らせ、どの団体も彼らの思い描くトップカードを実現させようとしていたが、ビンセント・マクマホン・シニアは違った。異なるプランを持ち合わせていたのだ。

バディ・ロジャースのマッチメイクを完全に支配下に置くと、ビンセント・マクマホン・シニアは自身のテリトリーでのブッキングを確保。NWA王者に対するこの型破りな手法に、少しでもバディ・ロジャースの恩恵を受けようとしていた他団体は困惑した。バディー・ロジャース独占の一年半後、それまで落胆していたミズーリ州セントルイスをテリトリーとするサム・マックニックは、遂にバディー・ロジャースの抑圧に終止符を打つべく、新たなスーパースターを模索し始めた。

(ルー・テーズ)

そこで浮上した人物が”鉄人”ルー・テーズである。一度は引退していたルー・テーズは19631月、バディ・ロジャースからNWA王座を奪還し、NWA加盟団体に光を照らした。バディ・ロジャースの敗北である。しかしながら、ビンス・マクマホン・シニアの勢いが衰えることはほとんどなかった。19ヶ月もの間、バディ・ロジャースが王座に君臨していたことは、キャピタル・レスリングを不動の地位まで押し上げていた。それはライブ興行でもテレビ放送でも同じのこと。事実、キャピタル・レスリングはNWAを離脱し、次なる一歩を踏み出そうとしていた。

ビンセント・ケネディ・マクマホンは当時を振り返り、こう語る。「父(ビンス・マクマホン・シニア)はワシントンDCの北西に位置するIストリート1332番地、フランクリンパーク・ホテルの751号室にオフィスを構えていたんだ。綺麗なところではなかったよ。でも一階にはコーヒーショップが入ってて、そこのコーヒーが好きだったんだ。チーズバーガー、ミルクシェイクも好きだったな。そして父のオフィスに行くと小さいコネクティングルームがあって、そこで子供ながらに試合のマッチメイクを考えては父に見せていたんだよ。笑えるだろ。しかし、あのオフィスで過ごした時間はとても素晴らしい思い出だよ」

第4話は下記リンクからどうぞ。
【EP. 4】NWAレジームからの脱却、そしてWWWF設立へ。