【EP. 1】キャピタル・レスリング・コーポレーション設立。

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米コネチカット州スタンフォードにある「タイタン・タワーズ」(WWE本社)

第1話

今日、WWE(World Wrestling Entertainment)はエンターテイメント業界を牽引するリーダー企業として世界的に認知されている。コネチカット州スタンフォードに本社を置き従業員600名以上、ニューヨーク、ロサンゼルス、マイアミ、ロンドン、ムンバイ、シャンハイ、シンガポール、イスタンブール、東京などアメリカ国内のみならず世界中に支社を構えている。

WWEは設立当初、アメリカ北東部を拠点に活動する、ごくごく一般的な小さな団体に過ぎなかった。それが50年以上経った現在では、アメリカの象徴として広がっているのである。本シリーズでは、50年以上の歴史を誇るWWEが、如何に現在のグローバル企業に成長していったのか、その歴史に迫る。

ロドリック・ジェームス・マクマホン(ジェス・マクマホン)

ビンス・マクマホンがスポーツ・エンターテイメント業界に参入するずっと前、彼の祖父であるロドリック・ジェームス・マクマホン(以下、ジェス・マクマホン)は、1920年代から1930年代にかけてボクシングのプロモーターとしてマジソン・スクエア・ガーデンやエベッツ・フィールドを含む歴史ある会場で興行を手がけていた。

ジェス・マクマホンはここに至るまで、ニューヨークやペンシルベニアでレスリング興行も主催。その後、195411月にジェス・マクマホンは享年72歳でこの世を去る。その間ずっと、ジェス・マクマホンの息子であるビンセント・ジェームス・マクマホン(以下、ビンス・マクマホン・シニア)は、父親の背中を一心不乱に追いかけ、どのようにプロモーターとして成功できるかを探っていた。

だが、ビンス・マクマホン・シニアは名声を手にする前に、第二次世界大戦の影響で沿岸警備に従事するため、ノースカロライナに移送されてしまう。任務満了となった1946年、若きビンス・マクマホン・シニアはプロモーターとしてやり直そうとするも、彼の軍役中にニューヨークのテリトリーでは、敏腕プロモーターであるジョセフ・モンドの勢いが増していたため、ニューヨークではなく他地域での活動を決断する。

ターナーズ・アリーナ

ビンス・マクマホン・シニアは活動拠点をワシントンD.C.に移し、1947年に2000人収容可能なターナーズ・アリーナでのマネジメントを開始。彼の采配によってナット・キング・コール、ルイス・アームストロング、ゴージャス・ジョージ、ブルーノサンマルチノといった当時のトップ・スーパースターズを誘致し始め、1954年には遂にターナーズ・アリーナとの契約を完全に支配下に置いた。その後、アリーナ名をキャピタル・アリーナに改名すると同時にCWC(キャピタル・レスリング・コーポレーション)を設立した。

第2話は下記リンクからどうぞ。
【EP. 2】NWA、テレビ、そしてマディソン・スクエア・ガーデン。